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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)1749号 判決

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 大竹謙二

被控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 池田由太郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。控訴人と被控訴人を離婚する。訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

(一)  控訴人は、大正一三年三月二一日生れで、昭和一九年九月東京外国語学校英米科を卒業し、一時兵役に服した後、昭和二一年一一月から日本放送協会○○課に勤務していたが、その頃、時々右勤務先に友人を訪ねて来ていた被控訴人と知合になり、同人と交際するうち、同人に結婚を申入れるに至った。

被控訴人は、この申入れに対して、同人が大正三年九月二六日生れで一〇才も年長である上に、腎臓結核を患って、子供の生れる自信もなかったので、一時は右申入れに躊躇を示したが、控訴人の熱意にほだされてこれを承諾し、両名は昭和二三年五月三〇日結婚し、同年八月三日婚姻届を了した。

(二)  結婚当初、両名は、東京都○○区○町にある被控訴人の実家に、被控訴人の母や妹達と同居し、その後、同居生活に対する控訴人の不満から、同一屋敷内の一角に新居を建てて移り住んだが、控訴人は、結婚して二、三年たつ頃から、被控訴人に対し、趣味がいささか低級で、知的なものに興味を示さない、との不満を抱き始めていたところ、被控訴人が、控訴人の賛成しない隆鼻手術を受け、控訴人の非難に会うや、また、もとどおりにしたことから、被控訴人に対する嫌悪感が高まり、満たされない日々を送るうち、昭和二九年、同じ職場に採用された乙山春子と交際を深めるようになり、遂に被控訴人と別れて乙山と結婚しようとまで思い詰め、昭和三〇年一月、家を出て東京池袋の兄のもとに一旦身を寄せた後、同年三月、池袋にアパートの一室を借りて、別居生活を始めることとなった。

(三)  その頃、被控訴人は、三度目の妊娠をしていたので、流産一度、中絶一度の過去の事情からも、また、控訴人を引戻すためにも、出産に踏切ろうと思い、控訴人に会って妊娠の事実を打明けたところ、最初は産むことに賛成の態度を示していた控訴人が、最後には中絶をすすめ、これに従えば家へ戻るということであったので、被控訴人も、この言を信じて中絶を行なった。しかし、控訴人は、依然として家に戻らず、かえって東京家庭裁判所に離婚の調停を申立て、昭和三一年六月、乙山と同棲すべく世田谷区内に家まで借受け、その間乙山との間に肉体関係さえ結ぶに至ったが、被控訴人が離婚に応じないため、調停は不調に終ったばかりでなく、被控訴人からの手紙により、真相を知った乙山の父の反対にあって、乙山との結婚の望みも消えたので、控訴人は、間もなく被控訴人のもとに戻り、心機一転して被控訴人との結婚生活を再建することに努めた。

(四)  暫くの間は何事もなく過ぎ、控訴人と被控訴人は、一緒に旅行や釣りを楽しんだりして、両名の結婚生活は、再び平和を取戻したかに見えたが、一年程たつうち、控訴人には、被控訴人の精神面に、以前とくらべて少しも進歩、向上の跡が見受けられないように感じられ、従前と同じ不満が募っていった。

(五)  控訴人は、その頃、本務の傍ら○○会話学院で教鞭をとっていたが、そこの教師をしていたハワイ生れの日系三世丙川夏子と親しくなり、同所の家庭に出入りするうち、同女との交際も深まり、被控訴人に対し、しばしば同女との交際の様子をあからさまに話して、不必要に被控訴人を刺戟したり、丙川のように車を持ちたいからすぐに車を買えなどと、無理難題を吹きかけたり、また、夜遅く帰宅しては辛く当ったりしたので、被控訴人も、これに耐えかね、置手紙をして二、三日家出したようなこともあった。

このような推移のうちに、控訴人の被控訴人に対する愛情はさめ、控訴人は、昭和三三年八月、離婚を決意して家を出、新宿にアパートの一室を借りて、再び別居生活を始めるに至り、その後折を見ては、被控訴人に対し、身内の者や友人を介して、幾度か離婚を申出たが、被控訴人の応ずるところとならず、そのまま別居生活が続けられ、ただ、別居後も、肉体関係は、控訴人が離婚の話合いなどのため被控訴人方へ赴いた際、時たま行なわれることはあったが、これも、昭和三八年四月頃をもって、終りとなった。

昭和三九年一月、控訴人は、英国放送協会へ出向を命ぜられて、日本を出発したところ、途中で網膜剥離症になったため、急遽日本に戻り、慶応病院へ入院し、同年四月退院したが、入院中は丙川一家の看護を受け、被控訴人に対しては、看護は勿論、見舞さえも固く拒み、退院後も丙川家で静養生活を送った。

(六)  同年八月二五日、病癒えた控訴人は、再び渡英の途につくことになったので、その機会に被控訴人との名ばかりの夫婦生活に終止符を打つべく、実兄を通じて、被控訴人に対し、控訴人から被控訴人に、被控訴人肩書地にある同人居住の家屋一棟(四四・九五平方米。被控訴人名義で保存登記)と一〇〇万円を与えるとの条件で、控訴人との離婚を承諾するよう求めたが、被控訴人の容れるところとならず、控訴人は、そのまま英国へ向った。英国滞在中は、控訴人は、離婚に反対している被控訴人の気持を少しでも和らげようとする気持もあって、被控訴人に対し、一回三万円の割合で相当回数の仕送りをしたが、被控訴人から時たま寄せられる手紙は、いつも離婚には絶対反対という趣旨のものばかりで、控訴人を失望へ誘うに過ぎなかった。

(七)  昭和四二年九月、控訴人は、三年間間の任期を終えて帰国したが、従前同様、アパートで別居生活を送り、被控訴人に対する仕送りも一切中止し、その後は、○町所在の共同住宅の一角を八二〇万円で買求めて、そこに居住している。一方、被控訴人は、親の遺産を売るとか、洋裁の内職をするとかして生計を立てており、時折り被控訴人から控訴人に送られる手紙に対しても、何等返事はないという状態にあるものである。

≪証拠判断省略≫

二 以上認定したところによれば、今や、控訴人は、被控訴人に対し一片の愛情すら抱いていないものと認められるから、控訴人が被控訴人のもとへ戻る見込はうすく、両名間の夫婦としての関係は、最早破綻に瀕しているものといわなければならない。

しかし、被控訴人には知的な面や趣味の点において、控訴人の不満を買うようなところが幾つかあったとしても、妻としてさしたる落度があったものとは、認めることができず、被控訴人が、献身的に夫である控訴人に尽くしたことは、控訴人自らが原審本人尋問において認めているところであって、控訴人の二度にわたる家出と別居、ひいては夫婦関係の破綻、という事態を招いた主な原因は、控訴人の女性問題にあること、先に認定したところからも明らかであるから、かような場合には、たとい夫婦関係が破綻に瀕しているとしても、控訴人の側からの離婚請求を認めることはできず、結局、本件においては離婚原因としての婚姻を継続し難い重大な事由は存しないものというほかない(昭二七、二、一九最判、民集六巻二号一一〇頁参照)。

よって、控訴人の本訴請求は、失当というべきであるから、これを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は、理由がないから、棄却すべく、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 林信一 福間佐昭)

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